【美術館に何が起こったのか】リアス・アーク美術館 副館長/学芸員 山内宏泰氏 何もなくなってしまった日常に芸術は何ができるのか。
2019.01.31(木)は常葉大学瀬名キャンパスへ。清水のマリナートでやっていた「リアス・アーク美術館 東日本大震災の記憶と津波の災害史」の事をSNSで発信したら、この事を常葉大学の先輩が教えてくださりました。⇒ https://www.tokoha-u.ac.jp/info/190124-1/
ありがとうございます😊✨
アートやデザインが自然現象・社会環境とどのように関わるとはどういうこと??
これらの大前提にあるのは社会環境への参加。
山内氏は自分が生かされている環境に対し、「未来にとって必要な価値観を示し、表現し続けること。」これが社会にコミットするということなのではないか。と。
⭕自由の延長線上からアートが生まれる訳ではなく、彼は社会環境から求められたから、自己の欲求としての表現ではなく使命感で表現する。
ではでは。
まずは気仙沼地域の大枠からε:)_🌱🌼.*
気仙沼地域では海🌊山🗻と自然に恵まれた地域。しかし、戦後はこれを喪失。
喪失した事により、地元の人は地元の否定をするようになります。
「魚臭いだけで何も無い田舎町」(田舎あるあるに聞こえてしまうのは私だけでしょうか。)
田舎町から都会になろうとし、新たに町を開発し、新たな価値観に作り変えた。その事により「作り変える価値観」へと意識を後退させてしまった。
しかし2000年~地域独自の文化、地域性を回復をはかるべく、新たな価値観を想像する活動を若い世代を中心に進んでいた。その後、徐々に地域アイデンティティも戻りつつあったそうです。そんな最中、震災が発生。
そこでまたもや、戦後の「作り変える価値観」への意識に戻ってしまった。
つまりそれは地域アイデンティティの喪失。
これまで、南三陸では明治、昭和、チリ(ぬけがあります😅)津波災害にあってきた災害史が存在する。
しかし、なんらかの理由を経て、地域づくり、文化形成の外側に災害史は棚上げされてしまった。50年代中盤から日本は防波堤や埋め立て等、やりたい放題その地域で何があったのかという歴史を知らずにばんばん作ってしまった。
「ここは大丈夫だろう」という過信。
歴史を見ずに、なぜ壊されたのかを見直す過程をなおざりに。
若者は「自らが何者なのか、何者でありたいか」
今までは地域性を否定していく生き方をしてきた。自己を肯定できる若者は少ない。
また、地域文化を評価しようとも、自らを否定、比較する他者が存在しない。
だから、若者はそれを都市へと求めたという。
じゃあ次は
リアス・アーク美術館を見ていこう^( 'Θ' )^✨
- 震災をきっかけに自らを語る人が増えたが、彼らは語る言葉を持っていなかった(=表現力不足)
- 復興事業を通じて出会う敵対者の存在により、「そうありたくない」という反感の裏返しとして自己確認に至る人もいる。
「表現」の重要性
大規模な震災が発生し、その時被災者は初めて日常を意識します。ここでの日常とは、平常時に見過ごされている地域文化、地域のアイデンティティ他ならない。
意識するとこまでいっても、それを表現する人は少ないのだと。それは、自己実現力が欠けているから。
✳自分の未来に対し、どうありたいのかを言語化し、他者と共有、コミュニケーションする
所までは中々始まらないのだという。。
「自分の価値観を表現する力」というのはモノゴトを自分ゴト化しなければならないと思います。
そして、その「自らの価値観を表現する力」を提供するのがリアス・アーク美術館なのだという。
そうであるから、リアス・アーク美術館では1部の常設展示は想像力を促す主観的資料を取り扱っている。その資料は住民を守り、彼らに伝わなければ意味がないのだと。確かに、この展示方法は学術的な資料の説明をなしている従来の博物館にはあまりみられない。だから批判的意見は確かにあった。
しかし、主観が事実ではないと批判するのはどうなのか。
彼がその時その場で感じた現場感覚というのは事実と呼べるのではないかという。
【防災ではなく減災】
減災は自然を受けいれ、分け合って、防ぎきれない被害を減らす事を意識すること。ということは、地域の災害史や文化史の歴史的な備えが必要になってくる。まちづくりがどのように行われてきたのかも学ぶ。
学術的はものではなく表現とか感情に直接訴えるものでなければならない。
確かに、博物館に行けば学術的にも知識は増える。それは大脳で捕えられても果たして直接感覚に突き刺さっているのか。
だから、ストーリーを作ったのだと。
想像力を働かせるための最大の装置であり、手法である。また、ストーリーは伝え聞く者の「想像力の発見」が不可欠であるから。
「被災物」
人様、自分のモノであっても、そのモノからストーリーが展開されてしまう。モノがある意味で記憶を巡るスイッチ(装置)になっている。
ちなみに英語には被災物という言葉はないけれど、フランス語にはある。「デブリ」。
戦争は文化を壊し、精神も破壊しに来る。自分達が大切にしてきたものが破壊されてしまう感覚。なるほど。でも、なぜ英語には同等の言葉がないのかなぁ。
✳身体感覚、共有、共感の芸術的アプローチによる表現。
それぞれが持つ主観的記憶を覚醒させるためにアート。震災自体を表現したのではなく、伝承の型をアーティスティックに表現した。これからはクリエイティブに社会環境を変えていかなければならない。と。
山内氏の「伝えたい。伝えなければらない。」という使命感を感じました。
復興をやっても災害は何度も何度もやってくる。終わることなんてない。でも、その事に対し、共有し、記録を残す。
これは、実際に体験した人々のためだと。
「なぜ?これからどうしたらいいのか」
これを問い、表現する事が生きることへ繋がっているのではないか。
ぶっ壊れた炊飯器
⇒私の炊飯器
モノがある。想像する。ストーリーがある。
山内氏は「例えば」の例示が大事だと。
例えば、私だったらこう見るけれど、あなたはどう見る?
その例えばがあるだけで充分なイメージを得る事が可能になります。それは、美術作品、映画、演劇等にも共通しているのではないのでしょうか。
だって、それらは
「例えば」この様に私は表現してみた
と言えるから。
この例えばは「共有」とも捉える事ができますね🌼.*
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終了後に山内氏に直接質問しました。これは柚木にしたら非常に珍しい事なのです笑笑
☆南三陸では多くの災害があり、その度にどのようなまちづくりが行われてきたか。
(これは先程も少し述べたので割愛笑笑)⇒これまでは流通経済ベース。こっちの方が発展しますし。でも今はネットでもいけるよね。だから、やはり地域性が必要になってくる。
そこにしかないもの、バ、人。
こういったものに価値がたかまってきてますね。文化や商品?といったその地域のアイデンティティへの投資の方が将来性がある。
新しいものはもういらなくて、元々そこにあったものを掘り起こし、なぜそれを評価されたかを提示する必要がある。消費するのではなく。ウチの人は魅力に気づかない。それを外の人が気づき、何をなぜ評価したのかを伝えていく、必要があるのだと。
☆被災物を見た、鑑賞者のその後のアクション
⇒小学5年の女の子が、ぬいぐるみとストーリーを見て。彼女はその後絵本を作ったのだと。それのどこを山内氏は評価?したのかというと、
1 ぬいぐるみのストーリーを通じ、震災を自分ゴト化した。(ぬいぐるみの視点になり)
2 自分が死ぬイメージができている。
そうやってストーリーを次の展開へチャンネルを変えて物語を連続させていく。この例え返しが山内氏がこの展示方法で実施した成果だという。
最後に
事実を例えばや物語という直接心に訴えかける方法を用いて、他者に共有、拡散する(伝える)。アートはそのような切り口で手段としてい使うことができる。
そして、誰かが何かに冴えるきっかけでもアートを用いる事ができるのだと気づきました(๑˙灬˙๑)
そういった気づきやきっかけのためにアートを用いる方法が柚木にきてるかもしれないとか思ったり思わなかったり。ここはまた、後ほど笑
とりあえず、リアス・アーク美術館行かねばなと思う柚木真里奈からでした( 'ω' و(و"♪🌼.*
以上!!!