柚木真里奈の日常( ¨̮ )🌼.*

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『在日コリアンの音楽~たどる・たのしむ・ふれてみる~』

そういえば、大学の授業の一貫で『在日コリアンの音楽~たどる・たのしむ・ふれてみる~』と題したドキュメンタリー映像と実演の催事が開催され、それに参加してきました。

 

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こちら写真は日本平夜市を写ルンですで撮影。いい感じにエモい。

 

まず、私にとって「音楽」の概念が広がったと感じます。

うたや音楽には人の心を直接表現、癒す、寄り添う、または人と人がひとつになる事が可能なソフトの力があるのものだとこれまでは考えてました。

しかし、

パンソリでの彼女達には自分が表現したいから歌うのではなく、使命感から歌っているように感じた。

在日朝鮮人の方が演習室で話をしてくれた際も、「音楽は社会に訴えかけるため、影響をあた得るため」と言った事が忘れられない。

 

音楽、芸術、アート、デザイン等は社会とは切っても切り離せないのだと思う。


自分の熱を社会、人に向けて訴えかける音楽は、人々を熱くさせ、時に感動させる。

発信者は自分でも気づかないうちに受信者に何かしらの感動を与え、次のアクションへ繋げているのではないかと思う。

心が震えるということは心が動くのを感じること。

それは時に受信者の考え、行動も変えてしまうことに繋がっている。

 

「うた」というものには、訴えかける力がある。それは人の命を繋ぐため、もしくは生きるためである。

つまり「戦う音楽」。

言葉に音をつけて人々に伝えていく。

この行為は世界中の国々に民謡や歌があるように、万国共通なのではないかと思う。

 


これまで、劇場・音楽堂各論の授業では日本の事もやりつつ、外国も何回か取り扱ってきた。国によって、音楽という存在、音楽の力の利用の仕方も違うと感じた。

音楽がダイレクトに人々の心に刺さる、大勢の人に影響を与える事を知っている。

それが国のトップだったら。

良くも悪くも国の政策に取り入れ、人々をコントロールする事もできてしまう側面もある。

 

 

在日の方に焦点を置き、見てきたが、本質的に最終的に私が心に刺さったのは「人としてどう生きるのか、どうありたいのか」という部分だ。

これは直接に彼女たちの言葉では無いけれど、私は全体からそう感じた。

そして、私もまだまだ足りないが、人と人の関係妄想だ。この妄想力が欠けていてはならないと強く思う。

確かに、他者なんか理解はできない。

しかし、国や見た目等でフィルターをかけてならないと思う。フィルターをかけるのは誰にでも無意識にできてしまう。フィルター越しではなく、目の前の人間に対して、私はどれだけや向き合えているのか。

「人(個人)」を見ているのか、知ろうとしているのか。

この部分の努力が大事だと思う。


上映中に言っていたが

差別されていた。けど、自分も差別していた。これに気づくことが出来た
ここでの自分が差別されていただけでなく、自身も差別していた事に気づいている部分が非常にに大事である。気づくこと。

これは自身を客観視しているようにも捉えることが可能だ。どのように気づかせるかもこれからは必要になってくると思うし、気づかせる装置が必要になってくると考えられる。

 

差別ではなくても、自分という存在や他者に気づかせる装置のひとつに授業でもやったが、文化施設で演劇や音楽等との未知なる出会いがあるのではないかと思う。

 

そして、文化施設での出会いだけではなく、人と人との出会いも人を変えていくと私は考えます\( ˙▿︎˙ )/🌼.*

以上!