柚木真里奈の日常( ¨̮ )🌼.*

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【2019.06.16(日)indigo la End「街路樹にて」@昭和女子大学人見記念講堂】

【6/16(日)はindigo la Endのライブに】
このバンドに出逢ったのはちょうど柚木が高校生の時。夏の夜に友人と帰り道だった真っ暗な巴川を通りながら「夏夜のマジック」を流しながら歌いながら帰ったのは今でも大切な大切な思い出です。

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川谷絵音の歌は本当に好きで、私の平凡な日常の音楽は常にindigo la Endに色付けられてるぐらいです。本当に彼の音楽に私自身が救われた事が何回もあります。
彼の音楽には他のバンドとは違う、人間臭さがあるのも特徴のひとつだと。人間臭さはただ単に純粋な気持ちでは表現しきれない部分を彼は音楽で表現してしまうのです。
それは、もちろん音と言葉で。
でも、彼の音楽には色が存在するのも確かだと思います。
よく、「indigola Endが好きだ」というと「病んでる」とか言われますがそんなことはどうだっていいのです。逆に言ってしまえば、「病んでない人間はこの世中にいるのか、この世の中がもう病んでるじゃんか」。
病んでるのは別に悪いことじゃないし、病んでる人の方が私はそこにその人自身の人間らしさを感じてしまいます。日々色んなことがある。病んでるからこそ、そこから見て何か実現させようと毎日をひたむきに生きているその人が美しいと思います。

私は心が辛くなってしまったらよく駿府城公園にいます笑

 

今回、川谷絵音という人間のさらに深みを知る事ができました。やはり、生は違いますね。ライブだからこそ、ライブでなければ、知る事ができない部分、見えない部分が必ず存在するのだと実感します。大学に入り、演劇やコンサート、大道芸等にもたくさん触れる機会があります。まだまだですが。
でも、そういったものとは、やはり違う良さがありますバンドは。バンドの方がより身近に、あたかも心に寄り添っているかのようにも感じる事ができますね。
なぜでしょうか。ジャンルの違いもあるとは思いますが。

また、曲中、背景には歌に合わせ、ライトはもちろん、映像と共にダンサーの影が映し出されるのです。言葉にならない感情を歌と身体で表現する。というのはなんて絶妙な組み合わせなんだろう。色んな歌手もダンサーとコラボするのはよくありますけども。ダンサーが加わるだけでも観る側の創造を掻き立てます。

 

 

今回のライブでは音楽はもちろんなのなですけれど、最後のアンコールで絵音が語った言葉に私自身がかなりリンクしてしまって、思わず泣いてしまいました。
久しぶりに涙を流したのかもしれません。
断片的にしか覚えておりませんがどうしても言語化したくて。。かなり彼自身の言葉と違ってしまっている部分もありますが。

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前の自分が作った音楽はもう今の自分は作れない。前の作品をやる事により、当時の自分の考え思い、当時の悩みを知る事ができる。羨ましいとも思う。けど、かといって、前の自分の作品はもう作れないし、前の自分は今の自分のようにもできないよね。そう考えると、音楽は作品として残り続けるよね。的な。(結構彼の言葉と違っちゃってる部分もあります)」

自分の好きな事を仕事にするのはいい事なんだけど。好きだからこそ、ぎりぎりになってしまう部分もある。でも、好きだからこそ表現しなければならなくて。
表現してもしても、人間には日々を生きるにあたって、言葉にすることが難しいのだけど、ぐちゃぐちゃな思い(表現しきれない部分)が必ず存在する。
表現してもしても、満たされない。満たされないから音楽を作り表現し続けるのかもね。

→この部分にこれまでと今の自分を重ねてしまった。確かに自分自身、もう何も必要ないってぐらい本当に心が愛で満たされていると思ってます。

だから充分過ぎるほどの愛が私にはあるから、誰かにその愛を与えたいなって思う気持ちもあります。

 

でも、一方でどこかで私は誰かを求め続けてしまう寂しがり屋な"弱さ"も持ってます。

 

矛盾してますがね笑


そんな、どこかぽっかりと穴が実は心に空いていてそれを埋めようとしてるのを自分でも分かってしまう部分があるのです。
その弱さという欲求のような、言葉では表現しきれない事に対し、これまで私は絵で表現をしてきました。

 

そして、今は絵よりもInstagramの写真の加工と自分の言葉を添え投稿する行為がそれにかなり近いです。

そこに「誰かに見てもらいたい」という承認欲求も少なからずあると思います。

でも、承認欲求なんかよりもそれを上回る自分の考えや思いのはけ口として、ある意味で救いを求めるかのように利用しているというのもあります。

 

でも、満たされない。

 

だから続けてしまってるのでしょうね。

 

自分の活動にも若干当てはまってしまう部分がどうしてもあるかもしれません。これまで何もできないし、自分がめちゃくちゃ大っ嫌いな自分が変わるきっかけになったのは多くの人と感動という出逢いがあったから。

でも、本当に多くの人に多くのものを与えてもらったからこそ、返したいし、また違う誰かに与えたいなという思いがあり満足できないというのもあります。
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自分の事はどれだけ言われてもいい。興味ないから。でも、自分の周りの大切な人の事について言われてしまうのは嫌だ。
芸術によって。芸術に触れることによって心が豊かになるし、芸術によって救われている人もいる。芸術には力があるよね。でも、その豊かさってせいぜい4日ぐらいしか続かない。
indigo la Endの音楽を聞いてくれ。」

心を殺すのは簡単だ。」
→大学に入りようやく、心を殺さずに自分らしくいられているような気もします。たまにこう見えても殺す時もありますがね。

 

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それからアンコール中はずっと
「芸術ってなんなんだろうな。幸せって、豊かさってなんなんだろう。誰もが自分にとって幸せな時間を過ごすって?芸術、アートは私たちの日々の暮らしに心の豊かさや幸せ、問いを投げかけてくれたりもする。じゃあ、アートには何ができるんだろう。もっともっと人々の日々の暮らしレベルにまで身近に触れる事ができる事や場ってないのかな。アートが限られた人のもだけじゃなく、もっと多くの人にも当たり前に触れることができる開かれた状態を作るにはどうしたらいいんだろう。。。等々。。」

 

 

アートが日々を生きる人々の心の豊かさや幸せに繋がる為にはそれ全体をデザインする力も必要になってくるんじゃないのかとも思いつつ。

 


最近の日本の社会は嬉しいニュースよりも心の痛むニュースの方が多い気がします。人間不信は増すし、社会への希望も失われつつある。どんどん人と人との繋がりもこれまでよりもさらに失われつつある。そんな、リアルに生きる私達にとっての心の幸せはなんなのか。
そんなことから、幸せとは何か、豊かさとは何かを自分自身に問い続け、日々の暮らしに思わずクスッと笑ってしまう事を考え続ける柚木です。

 

 

確かに静岡の事は愛してはいる。でも静岡全体なんかよりも、私がこれまで出逢った人や静岡に暮らす人や静岡で日常を送る人の事を私は考えたい。もちろんその地域地域における地域性も大事な要素ではある。でも、私はまずは「人」かなって。

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そして、まぁ最終的に、まだまだ本当にちっぽけな自分だけど。。
じゃあ、これから私にできる事、私にしかできない事ってなんなんだろう。
とぐるぐるおやすみ柚木です。

https://www.instagram.com/marina12017007/
(柚木真里奈本名のInstagramアカウントです。)