【2019.08.20-21-信仰の対象と芸術の源泉-】
日本一の山、富士山に挑戦してきました🔥!
⭕️富士山登り思ったことは、これまで選手としてプレイしていたサッカーの試合や練習に比べたら全然過酷だとは感じませんでした😛なんかサッカーに似てるんだよなぁ。
いや、サッカーから生き方を、、?
どこに足を置き、次の足はどこに着地させるのかを足場毎に繰り返し考えるのがゲーム感覚で面白いのです。
高山病になっちゃうかなという不安もありましたが、これも長野県での菅平遠征⚽️で呼吸法が自然に身についていたのかなと笑
⭕️御来光🌞は見れなかったけど、頂上に至るまでの道のりで見た雲海を私は一生忘れられない。
美しかった。こんな世界知らない!こんなにも美しい景色はやはり実際に生でリアルで登らなければ、この感動は味わえないなぁ。
でも、見たくても見れない方も存在する。
柚木のへたくその写真でごめんよだけど、見せたいからシェアしたい柚木です。
⭕️また登っている最中は
「私が」「今」「ここ」
にいるには多くの方との出逢いとご縁のおかげだなぁとしみじみしじみ🏃♀️
それは一歩一歩、私の足が地面を踏み締める事からも1番強く感じまして。2年前の自分はまさか富士山登るほどの靭帯の強度になるまで回復するなんて思いもよらなかったなと。
先生方、私の足を治してくれてありがとう。
"自分の足で立って、歩く"
なんて普通の事で当たり前の事なんだろけど、一度その当たり前が当たり前では無くなった時にどれ程その当たり前に感謝したことか。
また、身体の不自由さや心の落込み時に、自分がどれだけ周りの人の温かさや存在に支えられていたかも気づく事ができた。
また、健常者ありきのまちの生きづらさも痛感した。まだまだ見えてない世界がある。
身体の不自由さを手にした時、柚木が求めたモノは人と芸術でした。
たかが靭帯を断裂しただけ。治る。
でもこの怪我から学んだ事や気づいた事は多い。
また怪我してしまうんじゃないかという恐怖があり、挑戦したくても挑戦できなかった事も沢山。どこかで「どうせこんな足ではやれる事に限りがある」と諦めていた部分があります。
でも、生きているうちですね挑戦できるのも、失敗できるのも、素晴らしいモノに出逢って感動することも。これからも、一歩一歩自分のペースで自分らしく挑戦し続けようと思う柚木でした。次は自分の番。
感動は生きる力になりますね🌻
富士山🗻、改めて色んな事に気づかせてくれてありがとう〜🗺道ってやっぱりロマンだ。後ちっぽけだ自分な😝
頂上で引いたおみくじ「決心が足りない勉強せよ」。。ですよね!笑
わ〜がんばろ~っと🔥📚
最後に
柚木に挑戦の機会をくださった、大好きな長田❤️を始め、一般社団法人F-designのみなさま、たごのつきのみなさま、富士市の方々、共に頂きを目指したみなさま、柚木Family、柚木に関わってくださった全ての方に感謝しております。
本当に本当にありがとうございました🌻🌞🔥
静岡に富士山がある事に誇りを感じました。後、共に頂きを目指す仲間の存在の偉大さ。