柚木真里奈の日常( ¨̮ )🌼.*

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音楽ってなんだろう。

2017のシズカン登呂会場で初めて無声音映画を上映しました。その時の柚木の感想です。

音楽はやらされている。
反抗心。
音楽とは自由に体が感じるままに表現するべきである。音楽は音があるから音楽が成り立つのではない。音がなくても心が揺れることができたならそれは全部音楽になりうる。
学校の音楽は音楽とよんでいいものだろうか。

強制で生徒達にやらす。
これは生徒たちに本当の音楽とは何かを教えるには程遠い行為であるし、そもそもやるべきではない。自由に自分が感じたことを表現する。

これが音楽であり芸術であるのかもしれない。

目に見える全てものが音楽ではないし、目で見るのが音楽でもない。
つまり、目で見て感じた音楽であること。
ただ見るのではなくて、ちゃんと観ること。
皮膚に感じたもの。それが音楽であり芸術である。健常者は音楽を耳で聞く場合が多い。

自分の中に常に音楽がある。
みんな音楽が流れていなくても自分の中に流れている音楽を表現する。ダンスで。音楽はリズムを合わせるものではない。相手のリズムに合わせて踊っていき、そこで初めて息があうのだろう。擦り合わせていく感じ。

あえて無音でやることによって、自分の中にある音楽を創造することができるんじゃないかな。

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🍎いつも音に溢れたこの世界で音がなくなったら、私たちは物事をより繊細にそしてより敏感に感じとることができるんじゃないか。

 

愛だって、本来なら言葉なんて一言もいらないんじゃないかな。空気。二人の間にある空気。
他者と共鳴する感覚

音がなかったら自分でうみだす。

 

だから、自分自身と向き合う。そこに音がないから、見えないからといって創造すること、自分とは何か、自分なりの解釈、考えを深掘りしていく。考えることをやめてはならない。

わからないからこそ、人は考え、創造するのだ。音がないからといって、そこから本当に音がなくなるわけではない。

創造をかいてしまうから音がなくなるのだ。

 

他者を理解するということは同時に自分も理解していく相互的なものであろう。

風や、光、が目に入る感覚と触れる感覚は人よりも敏感で。それらがまた彼らの創造力を、刺激しているのかもしれない。目に見える全てのも。

ただ、見えるで終わらせとはならない。

 

どのように自分にはそれが見えて自分がそれを見たときどのように感じたのか

そこが重要であるのではないか。

 

原来、人間はそうであったはずだったのに。

子供の頃はそうだった。目に見えるものすべてに好奇心が。しかしそれが大人になるにつれてまるでなくなりつつある。感じにくい。

それは初めてが多すぎたから。

その初めて見たものに感動するという行為自体に慣れてしまったから。


芸術は自分を表現する。

また、その感情になりきる。

だれかを思う気持ちもだ。

人は一人一人オーラがあるはずなのに。そのオーラは肌で感じることができるのは可能性として低い。
人間はそうあるべきである。と型にはめ込まれすぎて生きづらくなっている。

今の世の中情報ばかりに振り回されて自分を見失いがちである。

何も知らなかった純粋さ を取り戻すことは難しい。

 

だったら、自分の感受性は自分で決めたい。

自分の心の動きを自分は見逃しちゃだめだと思うんだよね。