【分からないから考える〜演劇文化論を振り返って〜】
夏季集中講座 演劇文化論
講師 静岡県舞台芸術センターSPAC 成島洋子氏
<演劇文化論を振り返って>
私が記憶に残ってる中でSPACを観劇したのは確か中学生だったと思う。当時観た演目の内容は忘れてしまったが、暗くて、なんだか人間の弱さや汚さを感じた。それよりも今もまだ強く記憶に残ってるのは、ホールに入った時だ。あの空間に足を踏み込んだ瞬間から、劇の世界に入り込んでしまったかのようだった。ここが静岡だなんて全く感じなかった。この感覚は今も形を変えてずっと感じることだ。
その感覚が今回の講義でも成島さんが言っていた言葉がしっくりきた。SPACはあえてそういった異空間を創り上げている。足を踏み入れた瞬間から観劇をする者は演目の世界に入り込んでしまっている。
私は大学の授業で劇場、音楽堂等についても学んだ。今回初めて演劇史を学んだ。演ずる者と観る者、そして演じる場が明確に分かれている。その形が確立したのが古代ギリシャである。
「アイスキュロス」
「ソポクレス」
「エウリピデス」
そして
シェイクスピア4大悲劇
とりあえず、ギリシャ三大悲劇とシェイクスピア4大悲劇は押さえておこうと思う笑
あとまだ演劇史の流れてきにだらだら述べたいとこですが割愛します!笑
演劇の面白いところ
私は最初、演劇を観劇していた時は何を言いたいのか、伝えたいのかが全く分からなかった。正直に言ってしまえば内容も意味不明で1ミリも面白さを感じなかった。もっと分かりたい知りたいと思い積極的に色々な演目や劇団の作品を観たり、宮城さんの話や本を聞いたりするうちに面白さが分かってきてしまった。
これまでの私の演劇に対する姿勢はただ、その舞台上で俳優が演じるのを「見る」だった。「見る」が「観る」になったのはいつからわからない。
私はこれまでの自分を振り返ってみた。
これまでの私は自分の範囲で分かるモノ、認識できるモノしか見ていなかったように思う。
分かるものや分かりやすいものは分かるから共感もできるし、多くの人はそういった娯楽やアイキャッチ的なモノにすぐに目がいく。
しかし、最近は強く思うことがある。
世の中は、自分が分かるモノに対しては非常に寛容であるものの、自分が理解できない、分からない世界、物事、人に対しては考えないようになってきてしまっている。さらに効率や儲かるかどうか等といった側面がさらに強調されてきてしまっているのではないのかという違和感もある。
またそういった分からない理解できない非効率なモノ達を排除したり、攻撃したりといったような分断がものすごいスピードで行われているような感覚がする。価値観が多様化していると言われていても実は価値観はどんどん狭くなってきているのではないかとも考えられる。
リアルでもネットやSNSでも。
それは大変恐ろしい事でもあるなと思う。そういった姿勢が思想になり、行動に繋がったのが極端に言えば戦争だと思う。
自分とは違う世界(国や新興宗教、文化、価値観等)は壊す。潰す。そこに住むのは同じ人類なのに。
また、戦争に限らず。文化財が滅んでしまう理由は多くある。戦争や自然災害、人的災害、人為的破壊、自然劣化。そして無関心・忘却だ。
分からないから考える。
分かり合えないから考える。
そもそも私とあなたは違う人間だということの意識がなくなりつつあると思う。私とあなたというのが曖昧になってしまっているのではないのか。
自分とは違う視点を持つ他者の視点にも目を向けてみる。そういった見方もあるよねという、自分の中に他者性を認めることができるのは演劇だからこそだと思う。
演劇という、人間対人間で行われるもの。
分からないから考える。
といった見方を教えてくれたのも演劇だ。
演劇は演出によって、劇の魅せ方が違ってくる。元々ストーリーは知っているけど、魅せ方が違うと「あれ、この話どこかで聞いたことあるような、、」といった不思議な感覚、体験をする。オチは知っているはずなのにだ。
そのような演出や、分からない物事に対して考えるきっかけを与えてくれるのは演劇の面白さのひとつだと私は思う。
今回のグループワークでアンティゴネとクレオンの主張を考えてみるのも非常に面白かった。まずは自分ごととして考えてみるものの、いつしか自分達が生きる今の社会や今を生きる"誰か"の事を想像して考えていた事に気づいた。
一方方向での物事を見ようとするのもいいとは思う。ひとつの物事に対して一方方向だけでなく、様々な角度からの視点が必要だと思う。その様々な角度からの視点は学ぶ事によって得られると考える。
そうであるから、学校で学んでいる事は一見無駄で役に立たないように見えるかもしれない。しかしその無駄で役に立たないようなモノが今は必要なのかなと思う。
また、物事を捉える時に必ず人が関わっている。私達は生きている限り、人の関わりは断ち切れない。人はいろんな人がいる。いろんな人がいるならばいろんな生き方、考え方が存在する。いろんな人との出逢いが自分の世界を広げる。見えない世界を想像する事も。
私は予想ができる感動はたかがしれているが娯楽ももちろん大好きだ。一方で、演劇のような何かに出会えるか予想ができなくて、まだ触れたことの無い新しい世界を考えるきっかけをくれる感動も大好物である。
ま、そこには受け身より自分から触れに行く主体的な姿勢が必要なんじゃないかな。