音楽ってなんだろう。
2017のシズカン登呂会場で初めて無声音映画を上映しました。その時の柚木の感想です。
音楽はやらされている。
反抗心。
音楽とは自由に体が感じるままに表現するべきである。音楽は音があるから音楽が成り立つのではない。音がなくても心が揺れることができたならそれは全部音楽になりうる。
学校の音楽は音楽とよんでいいものだろうか。
強制で生徒達にやらす。
これは生徒たちに本当の音楽とは何かを教えるには程遠い行為であるし、そもそもやるべきではない。自由に自分が感じたことを表現する。
これが音楽であり芸術であるのかもしれない。
目に見える全てものが音楽ではないし、目で見るのが音楽でもない。
つまり、目で見て感じた音楽であること。
ただ見るのではなくて、ちゃんと観ること。
皮膚に感じたもの。それが音楽であり芸術である。健常者は音楽を耳で聞く場合が多い。
自分の中に常に音楽がある。
みんな音楽が流れていなくても自分の中に流れている音楽を表現する。ダンスで。音楽はリズムを合わせるものではない。相手のリズムに合わせて踊っていき、そこで初めて息があうのだろう。擦り合わせていく感じ。
あえて無音でやることによって、自分の中にある音楽を創造することができるんじゃないかな。
🍎いつも音に溢れたこの世界で音がなくなったら、私たちは物事をより繊細にそしてより敏感に感じとることができるんじゃないか。
愛だって、本来なら言葉なんて一言もいらないんじゃないかな。空気。二人の間にある空気。
他者と共鳴する感覚。
音がなかったら自分でうみだす。
だから、自分自身と向き合う。そこに音がないから、見えないからといって創造すること、自分とは何か、自分なりの解釈、考えを深掘りしていく。考えることをやめてはならない。
わからないからこそ、人は考え、創造するのだ。音がないからといって、そこから本当に音がなくなるわけではない。
創造をかいてしまうから音がなくなるのだ。
他者を理解するということは同時に自分も理解していく相互的なものであろう。
風や、光、が目に入る感覚と触れる感覚は人よりも敏感で。それらがまた彼らの創造力を、刺激しているのかもしれない。目に見える全てのも。
ただ、見えるで終わらせとはならない。
どのように自分にはそれが見えて自分がそれを見たときどのように感じたのか。
そこが重要であるのではないか。
原来、人間はそうであったはずだったのに。
子供の頃はそうだった。目に見えるものすべてに好奇心が。しかしそれが大人になるにつれてまるでなくなりつつある。感じにくい。
それは初めてが多すぎたから。
その初めて見たものに感動するという行為自体に慣れてしまったから。
芸術は自分を表現する。
また、その感情になりきる。
だれかを思う気持ちもだ。
人は一人一人オーラがあるはずなのに。そのオーラは肌で感じることができるのは可能性として低い。
人間はそうあるべきである。と型にはめ込まれすぎて生きづらくなっている。
今の世の中情報ばかりに振り回されて自分を見失いがちである。
何も知らなかった純粋さ を取り戻すことは難しい。
だったら、自分の感受性は自分で決めたい。
自分の心の動きを自分は見逃しちゃだめだと思うんだよね。
アートマネジメントってなんだろう1
2019夏期集中講議アートマネジメント各論
アートマネジメントを実践する時に「見る」「関わる」というのが大事である。
これは別の分野にも応用がきき、展開が可能であるという。今回はその「見る」「関わる」を考えていこうとおもう。
「関わる」と「見る」は両者独立していながらも、お互い混ざり合いながらモノゴトは進んでいく。
人はひとりで生きてはいけないと思う。あらゆるサービスやSNSでどうしても他者との関わりを断ち切るというのは難しい。
アートや美術館、博物館といった施設も必ず社会と関わる。社会と関わるというも必ず人が存在する。
「見る」とは情報を得ること。
見るは意識的にも無意識的にも行為が成り立つ。見る側がいれば見られる側いる。
自分や他者の目には見えない「幸せ」を可視化する事で改めて日常の振り返りや見つめ直しに繋がる。可視化する事で、日常からその人がどんな人なのかを想像する事もできてしまう。
例えば恋人がいたとする。恋人で共通の課題や時間を共有しているはずであるのに、実はお互いが見ていることや見えていることが違うという場合がある。目には見えないモノを共有する時、必ずズレが生じてしまう。その時にお互いの共通認識を持つ為には可視化は効果的であるのではないかと思う。
実際に、私が参加していたリノベーションスクール@清水というまちづくりにもその狭いエリアの未来像としてまちのイラストがスクール参加者の共通認識に繋がったのを体感した。
しかし、目に見えるモノだけが全てでは無いと思う。目に見えなくても想像する力が必要。
そこには目に見えないモノを「見る」、見ようとする。よく人は役割や見た目で他者を見てしまっているような気がする。それは見てるようで何も見えてないのと同等ではないのか。
人は誰もが「この人はこうだ」という固定概念からの決めつけやフィルターをかけてしてしまっていると思う。
さらに、役割や見た目に縛られ、目の前の相手を人として見ていないのではないか。
そこからは人と人の関係性を構築する事は難しいと思う。関係性を丁寧に紡ぐ事でお互いの関係性を見つめ直すという作業が大切であると思う。その作業が対話なのかもしれないし、アートなのかもしれない。
また、自身が他者に対しフィルターをかけてしまっている事にまず気づく必要があると思う。何かに気づかせ、考えさせるきっかけをくれるのもアートができる事だと考える。
「誰もが幸せな社会」
と言った時に、その誰もは誰を指すのか。人によって違うと思う。自分ではない、自分の属していない等といった自分とは全く関わりがない社会や他者を考えた時に排除されてしまう人やコミュニティが必ず存在している気がする。人は無意識の内に人を排除していている。これは誰にも当てはまる事だと思う。
それに気づけるか。
自分には見えていない世界があるのだという事に気づけるか。見えてない世界に対してどれだけ想像する事ができるのか。
見えてない世界に対して一側面だけ見て判断してしまう事が私達は多いのではないか。アートを通じて見えてない世界に誘導(気づかせるきっかけ)する事もアートマネジメントの役割にあるのかもしれない。
例えばSNSでも見るこができると思う。Twitterの投稿が炎上してしまう理由として考えられるのは、投稿する側見る側それぞれが一側面を切り取って編集(自分なりの解釈)して、その前後にあるモノをよく見ていない事もあるのではないかと思う。
モノゴトの本質とは何か、なぜこれがこうなったのか等と自身との対話や深掘り、今の溢れ出てる情報を疑う力も必要なのかなと思う。
アートと色んな人が関わる仕組みを作る事がアーツマネジメントの役割ひとつである。
アートによる表現を通じて人と人が出逢い、自分に出逢う。
人と人の関わりをデザインしていく。
アートのためのマネジメントではない。
アートマネジメントをなぜ実施するのか。
それは、
日々を生きる色んな人が芸術を通して幸せになっていくため
である。
私は日常の人々の幸せのお手伝いをしたいと考える。多くの人が関わり、誰もに開かれているのがアートなのではないのか。そのアートを見る人が関わりやすくなるにはどうしたらいいのか、関わりやすく場をしつらえる為にはどうしたらいいのか。
私はここに優しさが必要だと思う。
どうすれば、見に来た人がこのチラシが取りやすいのか、この場に入りやすい雰囲気とは何か、この場がどんな場なのかひと目で分かりる為にはどうしたらいいか等といった優しさ。気配り。
つまりはアートに出逢う場のしつらえを考えるのもアートマネジメントなのではないかとも思う。
私はまず私に日々幸せとは何か、日々の暮らしの中の豊かさとは何かを問い続ける。目の前の相手が大切にしている事はなんだろうと考えながら対話する事を心がけている。まだまだ不足しているけれど。
まだまだ私は学びが不足しているし、見えてない世界がある。日々学び、出会い、感動して、生きている。
以上!解散!
【分からないから考える〜演劇文化論を振り返って〜】
夏季集中講座 演劇文化論
講師 静岡県舞台芸術センターSPAC 成島洋子氏
<演劇文化論を振り返って>
私が記憶に残ってる中でSPACを観劇したのは確か中学生だったと思う。当時観た演目の内容は忘れてしまったが、暗くて、なんだか人間の弱さや汚さを感じた。それよりも今もまだ強く記憶に残ってるのは、ホールに入った時だ。あの空間に足を踏み込んだ瞬間から、劇の世界に入り込んでしまったかのようだった。ここが静岡だなんて全く感じなかった。この感覚は今も形を変えてずっと感じることだ。
その感覚が今回の講義でも成島さんが言っていた言葉がしっくりきた。SPACはあえてそういった異空間を創り上げている。足を踏み入れた瞬間から観劇をする者は演目の世界に入り込んでしまっている。
私は大学の授業で劇場、音楽堂等についても学んだ。今回初めて演劇史を学んだ。演ずる者と観る者、そして演じる場が明確に分かれている。その形が確立したのが古代ギリシャである。
「アイスキュロス」
「ソポクレス」
「エウリピデス」
そして
シェイクスピア4大悲劇
とりあえず、ギリシャ三大悲劇とシェイクスピア4大悲劇は押さえておこうと思う笑
あとまだ演劇史の流れてきにだらだら述べたいとこですが割愛します!笑
演劇の面白いところ
私は最初、演劇を観劇していた時は何を言いたいのか、伝えたいのかが全く分からなかった。正直に言ってしまえば内容も意味不明で1ミリも面白さを感じなかった。もっと分かりたい知りたいと思い積極的に色々な演目や劇団の作品を観たり、宮城さんの話や本を聞いたりするうちに面白さが分かってきてしまった。
これまでの私の演劇に対する姿勢はただ、その舞台上で俳優が演じるのを「見る」だった。「見る」が「観る」になったのはいつからわからない。
私はこれまでの自分を振り返ってみた。
これまでの私は自分の範囲で分かるモノ、認識できるモノしか見ていなかったように思う。
分かるものや分かりやすいものは分かるから共感もできるし、多くの人はそういった娯楽やアイキャッチ的なモノにすぐに目がいく。
しかし、最近は強く思うことがある。
世の中は、自分が分かるモノに対しては非常に寛容であるものの、自分が理解できない、分からない世界、物事、人に対しては考えないようになってきてしまっている。さらに効率や儲かるかどうか等といった側面がさらに強調されてきてしまっているのではないのかという違和感もある。
またそういった分からない理解できない非効率なモノ達を排除したり、攻撃したりといったような分断がものすごいスピードで行われているような感覚がする。価値観が多様化していると言われていても実は価値観はどんどん狭くなってきているのではないかとも考えられる。
リアルでもネットやSNSでも。
それは大変恐ろしい事でもあるなと思う。そういった姿勢が思想になり、行動に繋がったのが極端に言えば戦争だと思う。
自分とは違う世界(国や新興宗教、文化、価値観等)は壊す。潰す。そこに住むのは同じ人類なのに。
また、戦争に限らず。文化財が滅んでしまう理由は多くある。戦争や自然災害、人的災害、人為的破壊、自然劣化。そして無関心・忘却だ。
分からないから考える。
分かり合えないから考える。
そもそも私とあなたは違う人間だということの意識がなくなりつつあると思う。私とあなたというのが曖昧になってしまっているのではないのか。
自分とは違う視点を持つ他者の視点にも目を向けてみる。そういった見方もあるよねという、自分の中に他者性を認めることができるのは演劇だからこそだと思う。
演劇という、人間対人間で行われるもの。
分からないから考える。
といった見方を教えてくれたのも演劇だ。
演劇は演出によって、劇の魅せ方が違ってくる。元々ストーリーは知っているけど、魅せ方が違うと「あれ、この話どこかで聞いたことあるような、、」といった不思議な感覚、体験をする。オチは知っているはずなのにだ。
そのような演出や、分からない物事に対して考えるきっかけを与えてくれるのは演劇の面白さのひとつだと私は思う。
今回のグループワークでアンティゴネとクレオンの主張を考えてみるのも非常に面白かった。まずは自分ごととして考えてみるものの、いつしか自分達が生きる今の社会や今を生きる"誰か"の事を想像して考えていた事に気づいた。
一方方向での物事を見ようとするのもいいとは思う。ひとつの物事に対して一方方向だけでなく、様々な角度からの視点が必要だと思う。その様々な角度からの視点は学ぶ事によって得られると考える。
そうであるから、学校で学んでいる事は一見無駄で役に立たないように見えるかもしれない。しかしその無駄で役に立たないようなモノが今は必要なのかなと思う。
また、物事を捉える時に必ず人が関わっている。私達は生きている限り、人の関わりは断ち切れない。人はいろんな人がいる。いろんな人がいるならばいろんな生き方、考え方が存在する。いろんな人との出逢いが自分の世界を広げる。見えない世界を想像する事も。
私は予想ができる感動はたかがしれているが娯楽ももちろん大好きだ。一方で、演劇のような何かに出会えるか予想ができなくて、まだ触れたことの無い新しい世界を考えるきっかけをくれる感動も大好物である。
ま、そこには受け身より自分から触れに行く主体的な姿勢が必要なんじゃないかな。
【2019.08.20-21-信仰の対象と芸術の源泉-】
日本一の山、富士山に挑戦してきました🔥!
⭕️富士山登り思ったことは、これまで選手としてプレイしていたサッカーの試合や練習に比べたら全然過酷だとは感じませんでした😛なんかサッカーに似てるんだよなぁ。
いや、サッカーから生き方を、、?
どこに足を置き、次の足はどこに着地させるのかを足場毎に繰り返し考えるのがゲーム感覚で面白いのです。
高山病になっちゃうかなという不安もありましたが、これも長野県での菅平遠征⚽️で呼吸法が自然に身についていたのかなと笑
⭕️御来光🌞は見れなかったけど、頂上に至るまでの道のりで見た雲海を私は一生忘れられない。
美しかった。こんな世界知らない!こんなにも美しい景色はやはり実際に生でリアルで登らなければ、この感動は味わえないなぁ。
でも、見たくても見れない方も存在する。
柚木のへたくその写真でごめんよだけど、見せたいからシェアしたい柚木です。
⭕️また登っている最中は
「私が」「今」「ここ」
にいるには多くの方との出逢いとご縁のおかげだなぁとしみじみしじみ🏃♀️
それは一歩一歩、私の足が地面を踏み締める事からも1番強く感じまして。2年前の自分はまさか富士山登るほどの靭帯の強度になるまで回復するなんて思いもよらなかったなと。
先生方、私の足を治してくれてありがとう。
"自分の足で立って、歩く"
なんて普通の事で当たり前の事なんだろけど、一度その当たり前が当たり前では無くなった時にどれ程その当たり前に感謝したことか。
また、身体の不自由さや心の落込み時に、自分がどれだけ周りの人の温かさや存在に支えられていたかも気づく事ができた。
また、健常者ありきのまちの生きづらさも痛感した。まだまだ見えてない世界がある。
身体の不自由さを手にした時、柚木が求めたモノは人と芸術でした。
たかが靭帯を断裂しただけ。治る。
でもこの怪我から学んだ事や気づいた事は多い。
また怪我してしまうんじゃないかという恐怖があり、挑戦したくても挑戦できなかった事も沢山。どこかで「どうせこんな足ではやれる事に限りがある」と諦めていた部分があります。
でも、生きているうちですね挑戦できるのも、失敗できるのも、素晴らしいモノに出逢って感動することも。これからも、一歩一歩自分のペースで自分らしく挑戦し続けようと思う柚木でした。次は自分の番。
感動は生きる力になりますね🌻
富士山🗻、改めて色んな事に気づかせてくれてありがとう〜🗺道ってやっぱりロマンだ。後ちっぽけだ自分な😝
頂上で引いたおみくじ「決心が足りない勉強せよ」。。ですよね!笑
わ〜がんばろ~っと🔥📚
最後に
柚木に挑戦の機会をくださった、大好きな長田❤️を始め、一般社団法人F-designのみなさま、たごのつきのみなさま、富士市の方々、共に頂きを目指したみなさま、柚木Family、柚木に関わってくださった全ての方に感謝しております。
本当に本当にありがとうございました🌻🌞🔥
静岡に富士山がある事に誇りを感じました。後、共に頂きを目指す仲間の存在の偉大さ。
【2019.08.07-09仙台七夕祭りへ🎋】
【2019.08.07-09@宮城県仙台市】
私の大好きな大切な友人の長田ときゃのんと仙台へ!!最高な旅!最高な夏休みの始まり!🌻
🐢0807
最後のテスト終後、新幹線で仙台へ。
19:00到着。仙台の七夕祭りは凄すぎた!😳
↑圧巻!千羽鶴
七夕の飾りは、一列ごとに、その商店街の個人店やチェーン店が飾りをデザインして制作!
ばっちり宣伝も。
↑仙台駅
装飾も凝っているし、ひとつひとつのデザインも本当に素敵なの😫❤️
清水の七夕祭りとはまた違い、商店街には屋台は連なっていなくて(別の公共の道にある)、商店街の個々の店自体が売り込んでた。思わずお店に入ってお買い物してたら、お祭り終わってた💫
○蔵の庄
初めてこの形でいただいた柚木。
蔵の庄 というお店のご飯と宮城の地酒5種ほどいただきました🍶美味しすぎてそれはもう!
とまらない〜❣😛
日本酒の美味しさに気づく。
ホテルへ行くと思いきや、、突如歌いたくなった3人は朝までカラオケ🎤へ笑
(静岡でもできるけど笑 気持ちが違うんですよ全然)
🐢🐢0808
①宮城県には年に数回行くけど、実は伊達政宗様初ご対面。台座高すぎん??笑 なんでだろ~
政宗様の近くの西南戦争・日清戦争等戦没者慰霊碑を設置目的としている昭忠碑は、元々は塔上に設置されていたけど、東日本大震災で落下して大きく破損。文化財レスキュー事業後、文化庁補助事業として保存修復事業で修復した後に塔の上ではなく、石塔の安全性を考慮して下へ。(参考青葉城資料展示館。調べねば)
↑ひょうたん
smtせんだいメディアテークへ
建築は伊東豊雄氏。外も内も美しいいいい
-
美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人が、さまざまなメディアを使いこなし、メディアを通して自由に情報のやりとりができるようお手伝いする公共施設。
本当に行くことができてよかった。。
年齢層に偏りはあまり無い様に私は見えて、市民の生活の一部を担っている様に感じました📚📖
びっくり😲
仙台市民図書館、映像音響ライブラリー、ギャラリー、シアター、WS等。サービスとプログラムもかなり充実しているので一度利用できたらなぁ。居心地の良さも抜群。一日中居れます。静岡にもこんな施設あったらなぁ笑
※もっと知りたいのでのちのちまた。
利休
やはり、牛タン食べねば!!ここのテールスープが私はめちゃくちゃ好き😋❤️🍻
おいしかったぁぁぁ!
◎その地域ならではの食、歴史、文化、人。
空気とまち。旅でも色んな発見がある。自分から面白がりに行き、自分が予想もしてないものに出遇い、五感を通じリアル肌で経験し、その地域を味わう。またそれから、もっと知りたいが生まれ、学びへ繋がってるような気がします。
遊びの中からだって学べる。
というより、いつだって柚木にとっては刺激あるインプットに繋がっているのです。
その時の出会いって本当に大事ですね。
まぁ、確かに静岡市と仙台市は人口や場所、食べ物、気候、文化、歴史等も異なります。
でも柚木論的に言えば、日本なので、、、その地域の人をみています私。
とりあえず!最高な旅!ありがとうございましたー!みなさんもぜひぜひ仙台へ!
仙台市人口は109万人(2019.08.01時点)いるのか知らなかった🙊💫
【🎋2019.07.07 (日)ギャラリートーク@静岡県立美術館ロダン館🎋】
比較文化言語論という授業で生徒が1人1作品ロダンの作品を選び、約3ヶ月間調べ、ギャラリートークまで。
ちなみに柚木は「カレーの市民」🍛
当日を振り返ると反省ばかりですがっ✨
足を運んでくれたみなさま、静岡県立美術館のみなさま、taiさんkonno先生hirano先生、改めてありがとうございます🌻⭐
これまでの事を振り返ると「ひとつの作品」を調べたり、考えたりする時間って無かったなぁと思いました。また、幼い頃から親しんできた県美のロダンについてなーんも知らなかったな!!
なので、今回の授業を履修して良かったなとしみじみしじみ🐢
ありがとうございます。
実は最初、どれを調べていこうかかなり柚木は悩んでたのです。ロダンの弟子でもあり愛人でもあるカミーユについて、掘り下げようとも思いましたが、自身が感情移入し過ぎてしんどくなってしまうのだろうなぁ笑 (想像力素晴らしいので柚木)
もしくは、アッサンブラージュやトルソを用いた作品いいよなぁ。。
でも、最終的には授業で県立美術館学芸員の泰井さんのお話の中でも自分が「お、ロダンやるじゃんかっこいい」って思ったカレーの市民にしました笑
選ぶのにも時間がかかってしまった🌠
歴史を調べていく時に中学からどうしてもまずは年表を作りまして、その後に出来事を掘っていき、その出来事をもっと理解しやすい様にイラスト化していくのです。イラスト化は柚木にとっては自分ゴト化でもあります。そのやり方は今も変わらないのです。
今回、どうしたら、伝わるのか伝わりやすくなるのか。初めて来た人でも、スっと話が入ってくるにはどうしたらいいのかなって部分も悩み。リハ直前で思いついてしまった簡易的紙芝居。目の前に作品があるのに、視覚的情報を入れ過ぎたリハはかなり反省で更には圧倒的な準備不足も深深反省。。𓀃𓀃𓀃(本番まで後4日😅)
でも、わかりやすいだけではなぁ、、知識や情報を話すだけなら本でも読めば分かるよなぁ?どうなんだろう。。うーん。
ただ話を聞くだと、流れてしまうのでは?どうしても、聞く側は受け身になってしまい、作品をただ「見る」になっているんじゃないかな。ただ見る では無く、自ら発見し、気づきにいく「観る」姿勢になり、想像したり、感じたり。考えや問いが生まれたり。さらにそれを言葉にしていく。。分からないから、問い続ける行為に繋がる為には???(てかそもそもみるって?)
でも、自分が感じたモヤは以前の自分も感じたモヤと似てるZOZO
!💡😳➡️実は柚木がのきのき実践してるアートピクニックで少し料理してますが参考にしている、アメリカで広まった美術鑑賞教育法の「VTS Visual Thinking Strategy 」というのがありまして。詳細は➡️(https://kodomo-manabi-labo.net/arteducation-america)
金曜に気づく😂
と、ずらずら言ってますが、美術作品に初めて挑戦しましたが、、いざ本番となれば、自分の至らない部分が分かりに分かり悔しいです🗺
難しかった。。
でも、また違う作品で挑戦してみたいと思いましたね🐢🐢
最後に。
カレーの市民からの自分の考え。最初、私は「まちにも色々、彫刻があるからそこからも何かしらのストーリーがあるのでは」にしてました。でも、いやいや待てよと。本当にこれがこの作品から柚木が感じたものなのかと言うと、違うな。
私はロダンが「カレーの市民」を悲壮感ある表情にしたのも、台座を無くしたのも、ロダンがまず6人の英雄とされていた人物を英雄としてではなく、1人の人間として見たという点が印象的で感銘を受けた。
「死」を目の前にした彼らの「死」に対する表情を、ロダンが表現できたのはロダンが彼らの「心を想像する」事ができたからだと私は思う。
「もし、自分があの場にいたら?もし、自分があの中の家族だったら?」
それだけじゃなく、ロダンは彼らの日常的なストーリーにも目を向けたと思いまして。彼らにだって、私たちと同じ様に愛する人がいたのだろうし、将来の悩みや小さな幸せで喜んでもいたんじゃないかと。
「心を想像する」とは、自分の事のように他者の事を理解しようとする姿勢。や、心に寄り添おうとする。だと思ってて。ロダンにはこれができたと思う。
だから、このカレーの市民はロダンにしか、ロダンでなければ、できない表現であると思う柚木です。
また、その事から改めて自分を振り返ると、自分と他者との関係性を考え直すきっかけに。問も生。人はいつかは終わりがくる。そうであるから、日々をどのように生きるか。そういった時に自分は今、目の前の相手に対しどれだけ向き合えているのか。そもそも、相手と向き合う以前に自分と向き合えているのか。。。
【どう働くか。 どう生きるか。① 6/21(金)guest 天野浩史さん】
2019.06.21(金)3コマ12:45~14:15
平野先生の「アートマネジメント特講」という授業の一環で、天野浩史(amano hirohumi)さんをguestにお呼びし、柚木がインタビューしました。
〇アートマネジメント特講(の目的)
→「文化芸術を通じて、人はどうしたらもっと幸せになれるか」(アートマネジメント)を考える実践の場として本授業を位置づけ、学生が主体となって運営に関わる。アートマネジメントにとって重要な視点である対話(dialog 今回はインタビュー形式)を重視する。
豊富な社会人の経験・体験、価値観に、書物やSNSではなく直接触れること(ライブ)を重視する。
ー柚木 ー天野さん ー平野先生
1
柚木が今日、天野さん
をお呼びした理由
―天野さん。お久しぶりです。実は今日、柚木が天野さんをお呼びした理由が実は3つあるのです笑 あ、その前にひまわりどうぞ〜。🌻
―おぉひまわり笑 理由??
(ココからずっと二人でひまわりを持ちながら話のですぶんぶん🌻)
―ひとつはなぜ天野さんは柚木が言いたいことや思ってる事を感じ取って言葉にし、伝える事ができるのでしょうか?!!天野さんってエスパーなの?!!
会場、天野さん―笑笑
―ふたつ目は天野さんに言われた一言。覚えてませんよね??笑
―うん笑 どれかわからないな笑 たくさん話しているからね。
―そうですよね〜確かに、いろんな事を相談させてもらっていますしね柚木。。。
でも柚木はショック!!笑
はい。なんて言われたか。
「信頼できる大人を決めておきな」って!
そこで柚木は天野さんを信頼できる大人に決めたのです。柚木のことを柚木真里奈という、一個人として見てくれている。そして、さらに私にとっては衝撃だったのは、とっても私と同じ目線で話をしてくれること。
あ!!もちろん!!平野先生も信頼している大人のひとりですよ!!!!笑
―なんか付け加え感が、、、笑笑( ⚯̱̈᷄ )
―3つ目は3月に開催した天野さんが代表を務めるNPO法人ESUNEが事務局となり開催した、北街道(セノバ~鷹匠、駿府町エリア)「柚木のきのき展3/28,29,30」@リ・フラワーで大変お世話になったからです。あの時は私に初めて挑戦できる機会をくださり、本当にありがとうございました。。実戦からいろんな学びと気づき、出逢いを得ました。また、いつも支えてくれる友人の存在にも。ご縁にも感謝。
ーなるほどなるほど。こちらこそ、ありがとうございました笑
、、、え、もうこっからは話していいの??
―え。笑 待って笑 じゃあプロフューるは自分で言いたいですか??
―あ、、笑 じゃあ、おねがいします笑
プロフュ〜る説明タイム。。。(※天野さんのプロフィール最後に記載させていただいております。)
2
「フューチャーセンター」ではキーワードとして「対話」「未来志向」。そして、このアートマネジメント特講のテーマも「対話」。
そもそも「対話」って??
なぜ今対話なの?
「対話」と「会話」と「議論」があって。
会話は「柚木、おはよ!」って感じ笑
「議論」は簡単に言えば“どっちが正しいのか”。自分の主張をどうやって相手に分かってもらうか。相手のことをどう負かすか。
つまり、AとBしかない。
次に「対話」。
これは“意味の共有”AとBがあった時どうやって新しいCを作るか。
「なぜこの人はこの主張するのか」お互いにWHYを深く理解し合うと、実はお互いに言ってる事って一緒だよねって事に気づく可能性がある。
てか、むしろこれに気づいていかないと、新しいCは生まれてこないんだよね。
後、対話の意味は「対にして話す」なんだよね。対等とも言える。お互い情報の格差もなくそう、理解しよう。お互いにフェアな関係に。っていうのもあるんだよね。
つまり
「本当に大事なことってなんなんだろう」
ってことを考える。
大きな目標があるのに、お互いが理解しないまま、今はモノゴトがとてもスピーディーに進んじゃってる世の中になってきちゃってるよね。だからこそ、お互いに何を考えているのか、深く理解し合うこと。が大事なんだと思う。
どう働くか。どう生きるか。その2に続く。
天野浩史 氏
■プロフィール
1991年愛知県岡崎市生まれ。
高校卒業後、静岡大学理学部物理学科へ入学。在学時に菊川市倉沢の棚田の保全活動に関わって以来、地域づくりの推進に従事。大学卒業後、求人メディア会社にて営業、事業企画を経験後、2016年2月にNPO法人静岡フューチャーセンター・サポートネットESUNEを設立し、代表理事に就任。「未来を描く、つくる、育てる」をコンセプトに、行政・企業・NPOなど多様な人材の社会参加支援、法人向け教育プログラムの企画開発、地域プロジェクトの伴走支援に取り組む。
アメリカン・エキスプレス・リーダーシップ・アカデミー9期生
東海若手起業塾10期生
■主なお仕事
・NPO法人ESUNE代表理事
・一般社団法人ミライヌ 代表理事
・大正大学地域創生学部 地方創生コーディネーター( 内閣府「地方と東京圏の大学生対流促進事業」チーフコーディネーター)
・静岡大学大学教育センター特任職員(PBLコーディネーター)
・NPO法人しずおか共育ネット 副代表理事
・静岡市市民自治推進審議会委員
・静岡県くらし・環境部県民生活課若者向け消費者被害防止教育情報発信事業検討会 委員
https://amanohiro.blogspot.com/p/blog-page.html 天野さんブログより。
NPO法人ESUNEブログ⬇️⬇️