柚木真里奈の日常( ¨̮ )🌼.*

柚木真里奈のスマイルチャンネル🌻これまでの活動を言語化しております。またここやSNS載せきれない時間はすまいるちゃん🌻柚木のきのきblog https://marina70.hatenablog.com/を覗いてみてね🌈🦄🥰🍵

13年。

さて。私事になりますが自身のサッカー現役引退しました⚽🌸
小1~大学2年という約13年。
辞めたいと思った事は何度も。でも辞めたいと思っても、サッカーを嫌いになった事は1度もないと思う。ずっとずっとメッシみたいなプレイヤーになる事を目指してきた。

いつしかサッカーなしでは生きていけなかったし、サッカーというものが私にとっての存在価値であり、表現の世界であり、勝負の世界でした。

f:id:marina12017007:20190327170757p:image
私なりに勝ちにこだわり続け、チームを勝利に導けるのかも考えていた。

 

f:id:marina12017007:20190404201614j:image

サッカーを愛してる、サッカーが恋人
なんて言うぐらい笑

思い返せば、ずっとずっと通学中でも週末の試合や昨日の練習の反省。次はどうするか。
へたくそなりにももらい方、ゴールへの意識、ボールのワンタッチでどこに置いて次どうするか等を考えていた毎日。


熱しかない。本気でやってきた。

弱い自分を嫌でも向き合わなければならない。でも、向き合い続け、自己と戦い続けてきたから今があるのでしょう。

 

 

は1番の挫折を今も忘れてない。
最初は意識しなくても、思った通りにプレーができてしまっていたからそれに甘んじていた。努力をするなんて全く知らなかった。

痛いほど思い知ったのは中2の雨の中の試合。当時から強かった藤枝順心中学サッカー部に私達チームが3-2で勝ち、東海大会出場。私はこの試合を外からしかみることができなかった。めちゃくちゃ悔しく、めちゃくちゃ泣いた。自分に1番腹立たしかった

 

そこで気づいた。

そこで1番近くにいた「努力の天才」の存在にも気づいた。

 

✳それからひたすら練習。
細かな意識から変えていった。
意識も習慣化するまで継続させる。

へたくそだから、誰よりもやるしかない。
たった数分しか出場できなくても、必ず結果を残す。その数分で結果を出すためには日頃からの地道な準備が必要。

いつでも出られるように万全の体制で呼ばれるのを待っていた日々もあった。

 

f:id:marina12017007:20190404201759j:image

⬆️中学サッカー部時代

 

中学の私の練習量と試合数はかなりあると思う。クラブチームと中学男子サッカー部に所属をしていたから。
小1~中3まで男子の中で戦ってきた。

女子という事だけでどれだけ理不尽さや心無い言葉を貰ったことか笑
それでも、私は自分を信じていたし、サッカーが大好きだった。だから、サッカーで見返した。
こう見えて前はかなーーーーーりの内気な人見知りですからね柚木🐮🌱

でも、でも結局は1番の敵は自分だよなって毎度思う。

 

 

と、まぁ長々書いてますが、私がサッカーで学んだ事や得た物は、形を変えて、今の自分にかなり役に立っていると強く実感してます。

 

サッカーというものに私は13年、熱中し、夢中になり続け、ずっとずっと向き合ってきました。何回も何回も壁を乗り越えてきました。

 

たくさん点を取った。得点力不足に悩んだ日々も。どれだけゴールに貪欲になれるかを目標に。もちろん、エースと周りは期待してくれるので、それに応えなければというプレッシャーもあった。

f:id:marina12017007:20190404202048p:image

たくさんの喜びも。


ポジティブばかりじゃない。
かなり悔し思いや悲し、苦しい、辛い思いもしてきました。

でもでも、どんな状況でも私には仲間がいたし、応援し支えてくれる家族や大人の方々がいました。

だから、乗り越える事ができたんだと思う。
1人では絶対にできない事です。

 

 

✳いろんなことがあった。
ここには書けない事も。

f:id:marina12017007:20190404202415j:image

術後が1番辛すぎた。
大学1年で左膝の前十字靭帯が断裂したのも私に多くの気づきと学びをくれた。
無駄な時間なんて一切無かった。全部全部私にとって必要な時間だった。

 

✳私の8年間、厳しーーーく指導してくれた監督は、いつも
お前の最初の直感を信じなさい。悔いが無いように過ごせ。】と。


サッカーは一瞬の判断と選択で結果が変わってくる。
実は私はずっとずっとこの言葉を守ってます。しかも、柚木の的を得てます。
だから、私は自分を信じてます。

 

 

後に。
実は様々なチームでプレーをしました。

これまで出会った仲間、指導陣みんなに感謝。良きライバルであり、仲間でした。
そして、サッカーができる素晴らしい環境を提供してくれた両親、親のみなさま。本当に本当に支えてくれて、いつも味方でいてくれて、気にかけてくれて、ありがとうございました。

f:id:marina12017007:20190327170828p:image
メジェールの監督、代表、そがさん、だいちゃん。ひとりひとりが濃いけど、私にサッカー教えてくれて本当に本当にありがとうございました。

f:id:marina12017007:20190327170844j:image

素晴らしい後輩にも出会えた。

昨日、受験時に自分がぼやっと言った事を思い出しました。
サッカーとアートには共通するものがある

 

 

なぜやめるかって?そりゃあ柚木が今、サッカー以上に、夢中になり続けられる人やものに出会ってしまったからですよ(*˘︶˘*)🌼.*

ここまで読んでくれてありがとうございます❤❤そう言えば、マリナーズイチローも引退。マリナーズマリナーズ

『在日コリアンの音楽~たどる・たのしむ・ふれてみる~』

そういえば、大学の授業の一貫で『在日コリアンの音楽~たどる・たのしむ・ふれてみる~』と題したドキュメンタリー映像と実演の催事が開催され、それに参加してきました。

 

f:id:marina12017007:20190321004239j:image

こちら写真は日本平夜市を写ルンですで撮影。いい感じにエモい。

 

まず、私にとって「音楽」の概念が広がったと感じます。

うたや音楽には人の心を直接表現、癒す、寄り添う、または人と人がひとつになる事が可能なソフトの力があるのものだとこれまでは考えてました。

しかし、

パンソリでの彼女達には自分が表現したいから歌うのではなく、使命感から歌っているように感じた。

在日朝鮮人の方が演習室で話をしてくれた際も、「音楽は社会に訴えかけるため、影響をあた得るため」と言った事が忘れられない。

 

音楽、芸術、アート、デザイン等は社会とは切っても切り離せないのだと思う。


自分の熱を社会、人に向けて訴えかける音楽は、人々を熱くさせ、時に感動させる。

発信者は自分でも気づかないうちに受信者に何かしらの感動を与え、次のアクションへ繋げているのではないかと思う。

心が震えるということは心が動くのを感じること。

それは時に受信者の考え、行動も変えてしまうことに繋がっている。

 

「うた」というものには、訴えかける力がある。それは人の命を繋ぐため、もしくは生きるためである。

つまり「戦う音楽」。

言葉に音をつけて人々に伝えていく。

この行為は世界中の国々に民謡や歌があるように、万国共通なのではないかと思う。

 


これまで、劇場・音楽堂各論の授業では日本の事もやりつつ、外国も何回か取り扱ってきた。国によって、音楽という存在、音楽の力の利用の仕方も違うと感じた。

音楽がダイレクトに人々の心に刺さる、大勢の人に影響を与える事を知っている。

それが国のトップだったら。

良くも悪くも国の政策に取り入れ、人々をコントロールする事もできてしまう側面もある。

 

 

在日の方に焦点を置き、見てきたが、本質的に最終的に私が心に刺さったのは「人としてどう生きるのか、どうありたいのか」という部分だ。

これは直接に彼女たちの言葉では無いけれど、私は全体からそう感じた。

そして、私もまだまだ足りないが、人と人の関係妄想だ。この妄想力が欠けていてはならないと強く思う。

確かに、他者なんか理解はできない。

しかし、国や見た目等でフィルターをかけてならないと思う。フィルターをかけるのは誰にでも無意識にできてしまう。フィルター越しではなく、目の前の人間に対して、私はどれだけや向き合えているのか。

「人(個人)」を見ているのか、知ろうとしているのか。

この部分の努力が大事だと思う。


上映中に言っていたが

差別されていた。けど、自分も差別していた。これに気づくことが出来た
ここでの自分が差別されていただけでなく、自身も差別していた事に気づいている部分が非常にに大事である。気づくこと。

これは自身を客観視しているようにも捉えることが可能だ。どのように気づかせるかもこれからは必要になってくると思うし、気づかせる装置が必要になってくると考えられる。

 

差別ではなくても、自分という存在や他者に気づかせる装置のひとつに授業でもやったが、文化施設で演劇や音楽等との未知なる出会いがあるのではないかと思う。

 

そして、文化施設での出会いだけではなく、人と人との出会いも人を変えていくと私は考えます\( ˙▿︎˙ )/🌼.*

以上!

七間町ハプニング3 安藝 悟氏「生産性のない私たち」

本日の七間町ハプニングは安藝 悟氏の「生産性のない私たち」へ

語り手が、語りを乗っ取られているような、語らさせているような、でも語っているような印象を持ちました。
1番印象的だったのは映画監督のカットカットカットのところ。これまでの人と人との関係性や自分がカット。カットによって分断された自分が積み重なる。
でも実際は、カットで関係性等はそう簡単にはカットできないですよね。そんな部分も人が生産性のない部分でもあるよなって。
また、嫉妬や憎悪等の小さな感情の揺れを大事にするということは、自分自身と向き合うことに繋がり、それは表現になる。

今日も慌てて、メモに書き留める柚木です笑(逃したくないので笑)

そして、様々な立場の語り手の「目、まなざし」という部分も引っかかりました。

人はめんどくさい。柚木も人一倍めんどくさい人間です。自負してます笑
生産性なんてこれっぽちもない。きっと思い通りになんていかない。

けど、それは個々人が必ず持つ、無意識的な「癖」という行為。

その癖を「生産性のない私たち」は「人が人である理由」だという。
安藝さんらしいなと思いつつ笑
なるほど。

f:id:marina12017007:20190314182113j:image

 

めんどくさいから面白いのです。めんどくさいめんどくさい言いながらも柚木は実際にその状況を面白がってたり。でも、その人というめんどくささ、が私は愛おしく思えてしまうのです。あーーめんどくさいっ⭐😪

【美術館に何が起こったのか】リアス・アーク美術館 副館長/学芸員 山内宏泰氏 何もなくなってしまった日常に芸術は何ができるのか。

2019.01.31(木)は常葉大学瀬名キャンパスへ。清水のマリナートでやっていた「リアス・アーク美術館 東日本大震災の記憶と津波の災害史」の事をSNSで発信したら、この事を常葉大学の先輩が教えてくださりました。⇒ https://www.tokoha-u.ac.jp/info/190124-1/

f:id:marina12017007:20190203000201j:image

ありがとうございます😊✨

 

アートやデザインが自然現象・社会環境とどのように関わるとはどういうこと??

これらの大前提にあるのは社会環境への参加。

山内氏は自分が生かされている環境に対し、「未来にとって必要な価値観を示し、表現し続けること。」これが社会にコミットするということなのではないか。と。
⭕自由の延長線上からアートが生まれる訳ではなく、彼は社会環境から求められたから、自己の欲求としての表現ではなく使命感で表現する。

f:id:marina12017007:20190203001528j:image

 

ではでは。

まずは気仙沼地域の大枠からε:)_🌱🌼.*


気仙沼地域では海🌊🗻と自然に恵まれた地域。しかし、戦後はこれを喪失。
喪失した事により、地元の人は地元の否定をするようになります。

魚臭いだけで何も無い田舎町」(田舎あるあるに聞こえてしまうのは私だけでしょうか。)
田舎町から都会になろうとし、新たに町を開発し、新たな価値観に作り変えた。その事により「作り変える価値観」へと意識を後退させてしまった。

しかし2000年~地域独自の文化、地域性を回復をはかるべく、新たな価値観を想像する活動を若い世代を中心に進んでいた。その後、徐々に地域アイデンティティも戻りつつあったそうです。そんな最中、震災が発生。

そこでまたもや、戦後の「作り変える価値観」への意識に戻ってしまった。

 

つまりそれは地域アイデンティティの喪失

 

これまで、南三陸では明治、昭和、チリ(ぬけがあります😅)津波災害にあってきた災害史が存在する。
しかし、なんらかの理由を経て、地域づくり、文化形成の外側に災害史は棚上げされてしまった。50年代中盤から日本は防波堤や埋め立て等、やりたい放題その地域で何があったのかという歴史を知らずにばんばん作ってしまった。
ここは大丈夫だろう」という過信。
歴史を見ずに、なぜ壊されたのかを見直す過程をなおざりに。

 


若者は「自らが何者なのか、何者でありたいか
今までは地域性を否定していく生き方をしてきた。自己を肯定できる若者は少ない。
また、地域文化を評価しようとも、自らを否定、比較する他者が存在しない。

だから、若者はそれを都市へと求めたという。

 

 

じゃあ次は
リアス・アーク美術館を見ていこう^( 'Θ' )^✨

  1. 震災をきっかけに自らを語る人が増えたが、彼らは語る言葉を持っていなかった(=表現力不足)
  2. 復興事業を通じて出会う敵対者の存在により、「そうありたくない」という反感の裏返しとして自己確認に至る人もいる。

 

 

「表現」の重要性
大規模な震災が発生し、その時被災者は初めて日常を意識します。ここでの日常とは、平常時に見過ごされている地域文化、地域のアイデンティティ他ならない。


意識するとこまでいっても、それを表現する人は少ないのだと。それは、自己実現力が欠けているから。

 

自分の未来に対し、どうありたいのかを言語化し、他者と共有、コミュニケーションする

所までは中々始まらないのだという。。

「自分の価値観を表現する力」というのはモノゴトを自分ゴト化しなければならないと思います。


そして、その「自らの価値観を表現する力」を提供するのがリアス・アーク美術館なのだという。

f:id:marina12017007:20190203001643j:imagef:id:marina12017007:20190203001718j:image
f:id:marina12017007:20190203001626j:image

そうであるから、リアス・アーク美術館では1部の常設展示は想像力を促す主観的資料を取り扱っている。その資料は住民を守り、彼らに伝わなければ意味がないのだと。確かに、この展示方法は学術的な資料の説明をなしている従来の博物館にはあまりみられない。だから批判的意見は確かにあった。

しかし、主観が事実ではないと批判するのはどうなのか。

彼がその時その場で感じた現場感覚というのは事実と呼べるのではないかという。

 

 

防災ではなく減災

減災は自然を受けいれ、分け合って、防ぎきれない被害を減らす事を意識すること。ということは、地域の災害史や文化史の歴史的な備えが必要になってくる。まちづくりがどのように行われてきたのかも学ぶ。

学術的はものではなく表現とか感情に直接訴えるものでなければならない。
確かに、博物館に行けば学術的にも知識は増える。それは大脳で捕えられても果たして直接感覚に突き刺さっているのか。
だから、ストーリーを作ったのだと。

f:id:marina12017007:20190203001718j:image
想像力を働かせるための最大の装置であり、手法であるまた、ストーリーは伝え聞く者の「想像力の発見」が不可欠であるから。

 

被災物

人様、自分のモノであっても、そのモノからストーリーが展開されてしまう。モノがある意味で記憶を巡るスイッチ(装置)になっている。

ちなみに英語には被災物という言葉はないけれど、フランス語にはある。「デブリ」。
戦争は文化を壊し、精神も破壊しに来る。自分達が大切にしてきたものが破壊されてしまう感覚。なるほど。でも、なぜ英語には同等の言葉がないのかなぁ。

 

身体感覚、共有、共感の芸術的アプローチによる表現

それぞれが持つ主観的記憶を覚醒させるためにアート。震災自体を表現したのではなく、伝承の型をアーティスティックに表現した。これからはクリエイティブに社会環境を変えていかなければならない。と。

山内氏の「伝えたい。伝えなければらない。」という使命感を感じました。

復興をやっても災害は何度も何度もやってくる。終わることなんてない。でも、その事に対し、共有し、記録を残す。

これは、実際に体験した人々のためだと。

「なぜ?これからどうしたらいいのか」

これを問い、表現する事が生きることへ繋がっているのではないか。

 

ぶっ壊れた炊飯器

私の炊飯器

モノがある。想像する。ストーリーがある。
山内氏は「例えば」の例示が大事だと。

例えば、私だったらこう見るけれど、あなたはどう見る?

その例えばがあるだけで充分なイメージを得る事が可能になります。それは、美術作品、映画、演劇等にも共通しているのではないのでしょうか。

だって、それらは

「例えば」この様に私は表現してみた

と言えるから。

この例えばは「共有」とも捉える事ができますね🌼.*

 

☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆

終了後に山内氏に直接質問しました。これは柚木にしたら非常に珍しい事なのです笑笑

 

☆南三陸では多くの災害があり、その度にどのようなまちづくりが行われてきたか。

(これは先程も少し述べたので割愛笑笑)⇒これまでは流通経済ベース。こっちの方が発展しますし。でも今はネットでもいけるよね。だから、やはり地域性が必要になってくる。

そこにしかないもの、バ、人。

こういったものに価値がたかまってきてますね。文化や商品?といったその地域のアイデンティティへの投資の方が将来性がある。

新しいものはもういらなくて、元々そこにあったものを掘り起こし、なぜそれを評価されたかを提示する必要がある。消費するのではなく。ウチの人は魅力に気づかない。それを外の人が気づき、何をなぜ評価したのかを伝えていく、必要があるのだと。

f:id:marina12017007:20190203002909j:image

☆被災物を見た、鑑賞者のその後のアクション
⇒小学5年の女の子が、ぬいぐるみとストーリーを見て。彼女はその後絵本を作ったのだと。それのどこを山内氏は評価?したのかというと、
1 ぬいぐるみのストーリーを通じ、震災を自分ゴト化した。(ぬいぐるみの視点になり)

2 自分が死ぬイメージができている。
そうやってストーリーを次の展開へチャンネルを変えて物語を連続させていく。この例え返しが山内氏がこの展示方法で実施した成果だという。

 

最後に
事実を例えば物語という直接心に訴えかける方法を用いて、他者に共有、拡散する(伝える)。アートはそのような切り口で手段としてい使うことができる。

そして、誰かが何かに冴えるきっかけでもアートを用いる事ができるのだと気づきました(๑˙灬˙๑)

そういった気づきやきっかけのためにアートを用いる方法が柚木にきてるかもしれないとか思ったり思わなかったり。ここはまた、後ほど笑

f:id:marina12017007:20190203002217j:image
とりあえず、リアス・アーク美術館行かねばなと思う柚木真里奈からでした( 'ω' و(و"♪🌼.*

以上!!!

【人として、どう生きるか】本質とは何か。一瞬も一生も美しく。

企画展「資生堂のデザイン-商品をして、すべてを語らしめよ-」@資生堂企業資料館へ行ってきました🙂

昨年の話ではありますがっ!笑

f:id:marina12017007:20190110232226j:image

企画展の展示の方法で最も驚いたことがあります。それはある程度、展示の種類は分けられてはいるけれど、年代別には分かれていない展示があったこと。

今、私が欲しいと感じた化粧品は実は10年前に販売されたものであったり、ポスターも今見てもかっこいい!と思えたものもあったりした。

ポスターをお見せしたいところですが、写真NGなので、みなさま直接、自分の目で確かめてくださいませ〜。

f:id:marina12017007:20190110232456j:image

(⬆️写真下手くそですね笑笑)

 

今も昔も''変わらない(本質)''事を知って欲しいからこの展示方法にしたのだなと感じました。

 

変わらないために
変わり続けている


どの時代も色味は違うけど、資生堂だとわかる😳さらに、資生堂と名前を出さなくても、共通して言えることは卓越した"美しさ"。

これは資生堂というDNAが脈々と受け継がれているということでょうねきっと。

 

 

●福原信三が芸術のセンスを経営に活かした。

その中には資生堂のギャラリーの様に、若い芸術家が世の中に出られるように(芸術文化振興)した。そこを情報が行き交うと考えられる社交場としての役割もある。
それだけではなく、意匠部や宣伝部などがフランスに学びに行く事も許可をしていた。

そこで、学んだ事とフランスの商品を日本に持ち帰り、陳列したり売ったりした。

つまり

店頭から世界の最新を知ることができたし、流行を発信していた。

f:id:marina12017007:20190110232532j:image

f:id:marina12017007:20190110232701j:image

(⬆️唐草模様)

 

資生堂は「良いもの、質の高いもの」を追求し、提供している。そうして、ファンを増やしていってるなぁとも思いつつ笑

でも、そうであるから、伝統部分を持ちながらも、それを壊していく「資生堂」もむしろ歓迎される姿勢があるというのは資生堂の懐の深さもあるなと思った🍀

 

しかし、それができるのはまずは

資生堂という型を知らなければできない。

型があるから、型を破りにいく事が可能であるのだ

と気づきました。

 

●最後に
今回は特別に展示品だけでなく、資生堂の裏側を見ることができたのです!ラッキー🍀

f:id:marina12017007:20190110232306j:image

香水の商品の形(デザイン)自体がもう既に香りを表現しているという。

 

福原信三が言った

どうして、

鼻に芸術はないのだろう

という言葉が私は好きだ。

f:id:marina12017007:20190111220035j:image

(⬆️白井先生!笑 これは資生堂の帰りでふらふらと掛川を探索してたのです。)

 

この言葉を聞いた時、驚いた😳

香りさえ、芸術として捉えているところに。

また、貯蔵品の香水も香水としての中身(液体等)は変化してしまうが、香りは変化しないと感じた。

 


【人として、どう生きるか】
本質とは何か。一瞬も一生も美しく。

f:id:marina12017007:20190110232935j:image
f:id:marina12017007:20190110232940j:image

私は、自分がワクワクする事には自分から楽しみに面白がりにいく

それをこれまで大事にしてきた。

そうすると、いつの間にかあまり好きではなかった自分が大好きな自分になっていた

 

自分が好きになった瞬間、相手への好奇心、関心が高まった。いろんな人に出会い、多くの事を人から学んだ。

 

人はある意味で、1人では生きていくのは不可能ではないかと思う。

ここで、少しだけど静岡市長が成人式の時に言っていた「生かされている」が少しだけどしっくりきた。🍵

 

人として、どう生きるか。

答えはわからない。

けど、

私は私であるために自然体で生きているのです( ¨̮ )🌼.*

 

柚木が資生堂のCMでグッときたキャッチコピー👇🏻

  1. 美人から白を奪うことはできない。
  2. 感動は美しい。レ・ミゼラブルのCMで心の美しさを表現している。
  3. 好きな人がいてきれいになった。「私っていいよね」→歳をとっても女性が美しくある為になのかな?女性にとって美しさとかは変わらないのかな。

柚木ももう少し自分を大事にしようと思いました笑

 

以上!柚木真里奈からでした!(*˘︶˘*)🌼.*

フレディの影響か髭がほしい柚木です。

みなさんHappy holiday( ¨̮ )🎅🎄🎁

 

クリスマスみなさんいかがお過ごしでしょうか。柚木は大好きな人と過ごす事ができHappy⭐Happy

 

さて。クリスマスイヴ🎄はただ今上映中の

ボヘミアン・ラプソディ

を観に行ってきました🍿🎬📽 

f:id:marina12017007:20181225200522j:image

(写真:ボヘミアン・ラプソディ公式Twitterより)

 

ひとこと。

痺れた!!

QUEENカッコイイ!(2言ですね)

 

親から話は聞くものの。世代的に名前と音楽しか知らないQUEEN

実際、QUEENの彼らのストーリ自体は知らない。

 

なぜ見ようと思ったかというとですとね。

このボヘミアン・ラプソディが上映するという情報をかなり早めにキャッチしていて、その予告編を観たところ、「これは行くしかない」と笑

(かなり直感的に決断していたのです。)

⬇️これは日本版予告編ですが

https://youtu.be/H7umx1jgkoQ

 

この間のbacknumberのLIVEで感じた記事に重複してしまう部分があるのでそこは割愛します。(見てない方はまずはこちらからよろしくお願いしますっ✨→ https://marina12017007.hatenadiary.jp/entry/2018/12/21/235318 )

 

が、やはり。

音楽の力はすごい!

 

最高の音楽を作るための妥協を許さない姿は、まさにアーティスト(パフォーマ)。

f:id:marina12017007:20181225201143j:image

(写真:fashion press 公式Twitterより)

でもフレディの心の孤独さもひしひし伝わってきた。彼のセクシュアリティの悩み孤独が叫びにもなったのが音楽なのかもなとも思ったり。

 

QUEENという伝説にもなったバンドのひとつひとつの曲がとにかく痺れた。

( だって、上映中に踊って、歌ってをやりたくなっちゃったほど😆ただ今アルバムをずっと聞いてます笑笑)

 

でもこの映画はそんな愛すべき曲達だけじゃない。エンターテインメント映画でありながらLGBT映画でもあるんじゃないかとも。

f:id:marina12017007:20181225201242j:image

フレディは自分とは何者かという問いにも向き合い続け、戦い続けたんじゃないかと。

そこで、"居場所"として音楽という表現の世界戦ったんじゃないかとも思った。

 

じゃあ、、

f:id:marina12017007:20181225040831j:image
f:id:marina12017007:20181225040823j:image

じゃあ、柚木真里奈は何者なんだ~!!笑笑

 

映画は

今まであまり目が向かなかった世界に目を向けるきっかけをくれるなぁ。

 

映画観終わってからQUEENボヘミアン・ラプソディが完成するまでの記事やLGBTのことについても色々調べて止まらんかったです。

もちろん、

フレディ・マーキュリーの名言もね!( ¨̮ )⬇️

You can be anything you want to be, just turn yourself into anything you think that you could ever be.

何でもなりたいものになれる。今までで一番の自分だと思えるものに自分を変えるだけだよ。

 ( カッコイイ!ロック・スター名言集より https://eigo-switch.com/rockstar )

 

Compromise is the dirtiest word for me.」

妥協は僕にとって、もっとも汚い言葉だ。

 

「 As far as I always am honest, have a pain and live for myself, I’d like to enjoy a life greatly.」

僕はいつでも自分に正直でいたいし、生きている限りでは人生を大いに楽しみたいんだ。

( 偉人フレディ・マーキュリー名言集より

http://medicines.aquaorbis.net/meigen/kaigai/geinou-e/freddie-mercury )

 

柚木真里奈からでした!

Happy🎄 MerryX'mas 🎅

【2018.12.09-10】スマイルと柚木は宮城の山元町に初上陸🙂


今回はクラウンスマイルについて投稿ではなく、ふぉんさん語り部になってもらって山元町地域全体を見ました。

f:id:marina12017007:20181218200045j:image

✳静岡の市民クラウンが東日本大震災直後から現在に至るまで、山元町でのボランティア活動の事や山元町地域や原発事故の当時の被害状況等をお話してくださりました。もちろん、現地の方々や他の語り部さんともお話をしながら。

山元町のパンフレットももちろんありますが、そこはあえて見ずに、メモと自身が感じた事を主にづらづらと言語化していきます。


仮設住宅

現在、ほとんど残ってません。が、当時は急遽建てなければならなかった為、山の空いたスペースばかりにあった。
また、山元町は海にはストロベリーライン🍓。山にはアップルライン🍎。しかし、ストロベリーライン🍓は津波の影響でほぼ壊滅状態。

山元町は坂元地区山下地区があります。坂元地区は山下地区よりも津波の勢いがあり、甚大な被害に。坂元川は津波が遡って。坂元駅は線路も現在は高架上に作られてます。その下はただただ平地が続くばかりです。

f:id:marina12017007:20181218194710j:imagef:id:marina12017007:20181218195743j:image
f:id:marina12017007:20181218195755j:image
f:id:marina12017007:20181218195717j:image

 

確かに、高台までの距離はかなりある。。。

●震災遺構 中浜小学校

f:id:marina12017007:20181218194810j:image
f:id:marina12017007:20181218194554j:image
f:id:marina12017007:20181218194650j:image

2階部分まで津波が来たが、当時学校にいた生徒はみんな屋根裏に避難し助かったそう。先生の一瞬の判断。しかし、当時は3月11日。屋根裏には特別な準備はしていなかったから、かなり寒かったと。

●普門寺

月1でバラバラになってしまったみんなが集まる。寺は当時、他の家よりもいち早く建て直した。(寺や神社は元々あった場所に再築。)仮設住宅も徐々になくなりつつあるため、寺がコミュニティスペースに。

✳授業でもやったと思うのですが、、😱
日本人が集まるバとして、水辺や神社、寺等があげられます。近代までの寺は、寺子屋などで子供が集まったり、周辺住民の情報交換(共有)。また政治的な意味を含んだ集まる場としても人が集まる、地域のコミュニティセンター的な役割もあったと。

●「過去の津波浸水区域」

f:id:marina12017007:20181218195553j:image
f:id:marina12017007:20181218195539j:image
当時のまま。散らかった店の中。駐車したままの車。約8年という月日が経った事を草木で生い茂る家が教えてくれる。落ちたままの瓦。道も封鎖されその先にある家には行く事ができない。車もこの区域で止まる事はできない。勿論、歩きもバイクも行けない。
まちは時が止まったままだが、私達は止まることを許されない。



 


不自然なまでに平らな大地。違和感。
そこに確かにあったはずの人々の営み、まち。それが突然無くなっちゃうのはこわい。

それでも、山元町のみんなは今を生きてる。


だから、今自分はどう生きるか。
どう毎日を過ごすか。

 

人から学ぶ事は多いです。

 

柚木真里奈とスマイルからでした!