13年。
さて。私事になりますが自身のサッカー現役引退しました⚽🌸
小1~大学2年という約13年。
辞めたいと思った事は何度も。でも辞めたいと思っても、サッカーを嫌いになった事は1度もないと思う。ずっとずっとメッシみたいなプレイヤーになる事を目指してきた。
いつしかサッカーなしでは生きていけなかったし、サッカーというものが私にとっての存在価値であり、表現の世界であり、勝負の世界でした。
私なりに勝ちにこだわり続け、チームを勝利に導けるのかも考えていた。
「サッカーを愛してる、サッカーが恋人」
なんて言うぐらい笑
思い返せば、ずっとずっと通学中でも週末の試合や昨日の練習の反省。次はどうするか。
へたくそなりにももらい方、ゴールへの意識、ボールのワンタッチでどこに置いて次どうするか等を考えていた毎日。
熱しかない。本気でやってきた。
弱い自分を嫌でも向き合わなければならない。でも、向き合い続け、自己と戦い続けてきたから今があるのでしょう。
私は1番の挫折を今も忘れてない。
最初は意識しなくても、思った通りにプレーができてしまっていたからそれに甘んじていた。努力をするなんて全く知らなかった。
痛いほど思い知ったのは中2の雨の中の試合。当時から強かった藤枝順心中学サッカー部に私達チームが3-2で勝ち、東海大会出場。私はこの試合を外からしかみることができなかった。めちゃくちゃ悔しく、めちゃくちゃ泣いた。自分に1番腹立たしかった
✳そこで気づいた。
そこで1番近くにいた「努力の天才」の存在にも気づいた。
✳それからひたすら練習。
細かな意識から変えていった。
意識も習慣化するまで継続させる。
へたくそだから、誰よりもやるしかない。
たった数分しか出場できなくても、必ず結果を残す。その数分で結果を出すためには日頃からの地道な準備が必要。
いつでも出られるように万全の体制で呼ばれるのを待っていた日々もあった。
⬆️中学サッカー部時代
中学の私の練習量と試合数はかなりあると思う。クラブチームと中学男子サッカー部に所属をしていたから。
小1~中3まで男子の中で戦ってきた。
女子という事だけでどれだけ理不尽さや心無い言葉を貰ったことか笑
それでも、私は自分を信じていたし、サッカーが大好きだった。だから、サッカーで見返した。
こう見えて前はかなーーーーーりの内気な人見知りですからね柚木🐮🌱
でも、でも結局は1番の敵は自分だよなって毎度思う。
と、まぁ長々書いてますが、私がサッカーで学んだ事や得た物は、形を変えて、今の自分にかなり役に立っていると強く実感してます。
サッカーというものに私は13年、熱中し、夢中になり続け、ずっとずっと向き合ってきました。何回も何回も壁を乗り越えてきました。
たくさん点を取った。得点力不足に悩んだ日々も。どれだけゴールに貪欲になれるかを目標に。もちろん、エースと周りは期待してくれるので、それに応えなければというプレッシャーもあった。
たくさんの喜びも。
ポジティブばかりじゃない。
かなり悔し思いや悲し、苦しい、辛い思いもしてきました。
でもでも、どんな状況でも私には仲間がいたし、応援し支えてくれる家族や大人の方々がいました。
だから、乗り越える事ができたんだと思う。
1人では絶対にできない事です。
✳いろんなことがあった。
ここには書けない事も。
術後が1番辛すぎた。
大学1年で左膝の前十字靭帯が断裂したのも私に多くの気づきと学びをくれた。
無駄な時間なんて一切無かった。全部全部私にとって必要な時間だった。
✳私の8年間、厳しーーーく指導してくれた監督は、いつも
【お前の最初の直感を信じなさい。悔いが無いように過ごせ。】と。
サッカーは一瞬の判断と選択で結果が変わってくる。
実は私はずっとずっとこの言葉を守ってます。しかも、柚木の的を得てます。
だから、私は自分を信じてます。
最後に。
実は様々なチームでプレーをしました。
これまで出会った仲間、指導陣みんなに感謝。良きライバルであり、仲間でした。
そして、サッカーができる素晴らしい環境を提供してくれた両親、親のみなさま。本当に本当に支えてくれて、いつも味方でいてくれて、気にかけてくれて、ありがとうございました。
メジェールの監督、代表、そがさん、だいちゃん。ひとりひとりが濃いけど、私にサッカー教えてくれて本当に本当にありがとうございました。
素晴らしい後輩にも出会えた。
昨日、受験時に自分がぼやっと言った事を思い出しました。
【サッカーとアートには共通するものがある】
なぜやめるかって?そりゃあ柚木が今、サッカー以上に、夢中になり続けられる人やものに出会ってしまったからですよ(*˘︶˘*)🌼.*